いろとりどりを想う

関ジャニ∞考。ほか。

わたしはなぜメンカラを身につけるのか

わたしは、自担のライブやイベントなどの時、自担のメンバーカラーを身につける派です。

 

メンバーカラーの服やアクセサリーを身につけるときもありますし、マジバンをつけたりして、なにかしらでメンバーカラーを身につけることが多いです。

 

メンカラ、メンバーカラーはファンにとって、メンバーやそのメンバーのファンを表すものです。そのため、タイトルはメンカラとしましたが、メンカラ=誰のファンかわかるもの、と定義して考えたいと思います。

 

ゴールデンボンバーの場合は、メンバーのバースデーグッズとしてTシャツやパーカー、タオルの発売があったり、ペンライトがメンバーによって違う(色など)ので、それを使っています。そのため、服装は普通で、タオルやライトだけ、ということもあります。一応メンカラもあるものの、各メンバーのデザイン違いのグッズがあったりすることもあり、ファンにとってあまり色は重視されていなかったりします。

 

さて、わたしはこんな感じなわけですが、わたし含め、メンカラ(=誰のファンかわかるもの)を身につけるファンはどういう思いゆえなのでしょうか?

ということでいくつかのパターンに分けてみました。

 

①誰のファンかを主張したい

自分は○○担です!ということを大々的に主張したいタイプ。メンカラの服どころか、オリジナルTシャツやパーカーを着たり、会場外でも○○担感をめっちゃ出すタイプ。会場外でうちわ振ってたり、並べて写真撮ったりしてる若い子たちもこのタイプが多そう(イメージ)。

メンカラ双子コーデとかは後述の②感もあるけど、主張の意味合いは強い(気がする)。

ソロコンのタオルをグループのライブで持ってる人もこういうタイプなのかもしれない。

あと、ソロのイベント、舞台などに「わざわざ」他のメンバーのグッズを持ってきたり、全身他のメンカラでくる人がきっとこのタイプに極端に寄っていたりするのでしょう*1

 

②「晴れ着」として着ている

せっかくのライブだから!ということでせっかくだしメンカラ…というタイプ。おとなしめの色合いのメンカラを取り入れる大人の人も多い。

何を着ていいかわからないからとりあえずメンカラの服を着る(選択肢を狭める的な意味合い)人もいる。

 

③他担だと思われたくない

別に○○担だと思われなくてもいいけど、他担だとはなんとなく思われたくない 、というタイプ。もちろんアンチとは限らない。会場外では一般人に擬態(しようと)していて、会場の中に入るとマジバンつけたりして急に誰担かわかる人もいる。このタイプはエイトの場合、メンカラ「黒」があるため、白、グレー、茶系など着られる服が限られてくるので、その結果メンカラを着るということもある。

 

④ゆるヲタ、にわかだと思われたくない

これはメンカラ、というよりグッズ的な意味合いですが、ヲタであることを示すためにグッズ等を持つタイプ。誰担かわかるものでいえば、マジバンとか、ソロコングッズとか、先述のバースデーグッズとか。ただし、誰担かというより、ファンであること、ヲタであることを示すため。

最近かなり減りましたが、ツアバ等々、昔のグッズをあえて持ってくるというマウンティングタイプも広く見るとこのタイプの仲間になるのでしょうか。お気に入り、とかももちろんあるとは思いますが、大して中に入らない昔のツアバとかを持ってる人を見るとマウンティングを感じざるをえない。

 

⑤偶然メンカラ

メンカラだからというより好きな服を着たら、偶然メンカラだったというパターン。その色の服が流行ったりすると、そういうこともあったりする。あと最近はメンカラ関係なく黒いワンピース、とかで双子したりしてる人もいるので、そういうこともあるのでしょう。自担のメンカラのものがなぜか集まる*2みたいなこともあるジャニヲタ界ではあるあるだったりするかもしれません。

 

 

と、5パターンにわけてみました。

みなさんにあてはまるものはありますかね?

 

ちなみに、わたしは基本的に③のタイプです。

もちろんアンチではありません(2回目)。

自担に対して、ではなく周囲に対してのメンカラなわけです。

対自担メンカラ:①②

対周囲メンカラ:①③④

対自分(メン)カラ:⑤

という区分もできるでしょう。

主張したいタイプは、自担にも周囲にも主張したいと思われるのでどちらも。

 

では、タイトルに戻って。

わたしはなぜ他担だと思われたくないのか。

 

わたし個人の場合になりますが、わたしは自担に服装や持ち物で主張したいという意識があまりありません。

意識の前に、服装で自担に主張できる席なんて限られてるといえば、それはそうなんですが。

あとは、ジャニーズの場合、ライブ中はうちわがあるので、それで、というところもあります(まあ別にうちわで、誰担だよ!を主張しているわけでもないですけど)。

そのため、対自担への主張を(意識的には)メンカラでは行なっていません。メンカラ着てる時もべつにメンカラだよ!○○担だよ!見て!とか思ってないし、うちわに関しても誰担かの主張として持っているわけではありません。ファンサうちわでもないです。なんなら自分のことは視界に入らなくていい、むしろ入れないでほしいと思ってたりする。

 

さて。

となると対周囲メンカラなわけです。

わたしは普段から周りの目を気にするタイプだったりするので、対周囲は重要事項です。

しかし、他担だと思われた場合に、起こる問題って、たぶんそんなにないはずです。銀テなどの交換を他担カラー関連でもちかけられるとか、(知らずに)自担を悪く言われたりとか、そういうくらいでしょうか。自担を悪く言われるのは内容によってはかなり問題にはなるでしょうが。

そのぶん周囲から担当が自担とわかって何か起こるとしても、それは担当だから仕方ないこと、と思えることもあったりするかもしれません(逆にそれによって同担への苦手意識が生まれてしまう人もいるのでしょうが)。

 

ではなぜ他担だと思われたくないのか。

自担を応援している、と思われなくても構わないが、(自担ではなく)他担を応援している、と思われるのは「なんか違う」ということです。ほかのメンバーを応援していないとかそういうことではなく、勘違いされるのはなあ、くらいの感じで。

 

具体例をあげれば、好きな人がいるのに、別の人のことが好きなのかと聞かれたときのような。好きな人いないんだよね?と言われたならば、いないと回答できても、別の人を出されると、ついついそれは違うと否定してしまう、ような。

 

ゼロか1かなら、ゼロだと思われるのは別に良いけれど、AかBかの選択で他の選択肢が選ばれることには違和感を感じるということです。

つまり、

通常の生活の中で、ジャニヲタを明かしていようがいまいが、ジャニヲタでない(ジャニヲタであるとはいえない)=「ゼロ」として接されることは一般的です。常にジャニヲタである(=「1」)として接されることはそうそうないでしょう。これが、わたしがジャニヲタであると思われなくても構わない、そして、自担を応援していると思われなくても構わない*3と思う理由にあたると思われます。

しかし、ライブがあるときの会場、もしくはその周辺においては、そこにいる人が、ジャニヲタではない(=「ゼロ」)と判断することは難しく、むしろ等しく「1」であると感じさせることのほうが多いでしょう。会場の中に入れば尚更です。この時点で、会場の中の人は等しく「1」であるとするならば、会場において、「ゼロ」か「1」かの区別はもはや基本的に不要になります。

と、なれば、次の問題はAかBか。

A、B…がそれぞれ誰担か、ということでなく、Aが自担の担当、Bが他担の担当と考えたいと思います(○○担だと思われたくない、という具体的な例があるのではなく、他担と思われるのはちがう、から)。

 

先述のとおり、会場にいる時点ですでに「1」であり、誰かのファンだという土俵に立っているわけです。となれば、その後に分類されるとするならば、次の段階は自担の担当(=「A」)か他担の担当(=「B」)かの区別です。この場合、前述のゼロか1かのように、ヲタやヲタ以外からの無意識の判断などから同一視されるわけではありません。他者から「A」と判断されるにはメンカラを身につけている、うちわや個人グッズを持っている、特定のメンバーの話ばかりをしている等の判断材料が必要です。

そういった判断材料がない、もしくは判断できない場合には、誰担か明確にはわからないため、周囲の各人による独自の判断基準からそれぞれ判断をされることになります。たとえば、友人の○○担と雰囲気が似てるから○○担かな、○○くんの好きそうな服装だから○○担なのかな、服の色とは違うけどもしかしてスマホケースの色の方が自担のメンカラなのかな、とか。

そういった判断の場合、むしろ「B(=他担)」と判断されることの方が多かったりもするでしょう。自担が2人組でもない限り、他メンバーの方が多いので、それはそうなんですが。こうなってしまった場合、同じヲタであっても、自分とは違う存在とみなされてしまいます。

 

ヲタだとバレているのなら、自担を応援していると思われたい、というタイプの方もいると思います*4

ヲタかヲタじゃないかの二者択一で間違えられたくないタイプの人ももちろんいるし、自担を応援しているかそうじゃないかで間違えられたくないタイプの人もいると思います。

 

 わたしの感覚では、ヲタかヲタではないか、先にふれたゼロか1かでは、グループのこと、自担のことが好きか好きではないかという問いに見えて、好きか、特別好きなわけではない(=ふつう)かという問いだと捉えているのだと思います。感情のレベルについての問いであり、感情を否定する問いではありません。

ただし、ヲタの中の自担のファンか自担のファンでないか、はかなりの確率で、自担のファンか他担(=自担のファン「ではない」)かという問いと同じ意味だ、と捉えています。これは極端に言えば感情の存在についての問いです。

 

今まで明確な理由もなく、他担だと思われたくないという、アンチともとられかねない思いからメンカラを身につけていましたが、なんとなく理由を見出せた気がします。

 

どちらも広く見れば、ファンかファンではないかの問いなので、本当にわたしの感覚的な話です。

 

なんだか結局言葉尻をとった話をぐだぐだしただけだし、相変わらず話も長いし、といった感じでよくわからなくなりましたが、今回はひとまずこれまで。

 

長々お読みいただきありがとうございました。

*1:こういう知り合いがいないため、真意不明。でもよくいる。他担感をあえて出してくるのも、別件ですが他グループのグッズを「あえて」ライブに持ってくる人も、よくわからない

*2:なんで集まるのでしょうね…スマホケースやイヤホンなどだとすぐ変えられないこともあり、ほかのメンカラの推し現場に若干行きづらさを感じたり…

*3:「応援していないと思われる」というのとはまた少し違うイメージです。応援していることが意識されてなくても良い、という感じ。応援していないはゼロでなくマイナスともいえるかも。

*4:わたしはちなみにこの気持ちはわからなくもないです